ジャニオタである私がアイドルマスターシンデレラガールズのプロデューサーになり、5thライブに行くまで。~デレマスとの出会い~

こんにちは。和紀。です。

今回、縁があり

アイドルマスターシンデレラガールズ
5thLIVE TOUR ~Serendipitg Parade!!!~

に参加させていただくこととなりました。
学生の頃は声優さんやアニメ・漫画中心の所謂、2次元オタクだった私が成人することには何故か毛嫌いしていたジャニオタとなり、今日の日までを過ごしています。

LIVEに行くにあたり、何年も2次元を離れていた私がアイドルマスター シンデレラガールズ』(以下、デレマス)というコンテンツに出会いそして、LIVEに行くまでになったかを備忘録代わりに認めていこうと思います。

デレマスとのちゃんとした出会いは1年前。家にWi-Fiを引いたことからはじまります。自宅にWi-Fiがなくゲームアプリを使用にもデータ容量の都合でほとんどやっておらず、月5GBの容量の殆どはTwitterに取られておりました。唯一やっていたゲームアプリはツムツムのみ。
折角、自宅にWi-Fiを引いたのだし、何かゲームアプリをしよう。というのが最初でした。その時自分の中での候補は、

ラブライブ!スクールフェスティバル(以下スクフェス

アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ(以下デレステ

のふたつ。
当時、ラブライブ!はアニメも見てましたし、キャラソンも聞いてました。反対に、デレステはキャラを少し知っているだけで詳しいことは何も知らず。どちらもアプリリリース時に少しかじった程度。周囲も圧倒的にスクフェス勢が多い中、私が選んだのはデレステでした。
リリース時にかじった時に、デレステは3Dで踊るところを見ていてジャニオタとしてはその綺麗さに感動したことを思い出したからです。
この選択が、以後の私を大きく変えていきます。
アプリどころか昔からゲームもしない私はリセマラすることなく素直にゲームを始めてしまいました。音ゲーも初体験。飽き性で集中力のない私が続くとは思えなかったので最初のスカチケも見送ることとしました。今考えたらスカチケ使えよ。て感じでしたが、やはりあの日に戻ってもスカチケは購入しなかったと思います。
ゲームのシステムも分からずにただただeasyモードで日々譜面と向き合う私。報酬でドロップするNキャラを見て名前を覚えるのに必死でした。
デレマス、デレステ嫌煙する人の中に『キャラが多すぎる』とあります。確かに、デレマスのアイドルは200人ほどおり、顔と名前を一致させるのは難しいかもしれません。しかしジャニオタである私は、ジャニーズ事務所のデビュー組からジャニーズJrまで顔と名前を一致させているのでそこはネックに思うことなくさくさくと覚えていきました。
これが続いているひとつの要因なのかも知れません。

デレステを続けているうちに出くわすのがいくつかのイベント。曲をクリアすれば報酬としてSRやRがドロップしたり、ポイントと順位を争うものなど、面倒くさがり屋の私には不向きなものばかり。しかも下手くそだからRegularモードが精一杯。上位報酬なんて簡単には手に入りません。
だけど、SRドロップのイベントであればなんとか偶然で手に入り、各タイプ(デレマスにはキュート、クール、パッションというタイプがある)もそこそこに潤ってきたのですが、極端にパッションのSRがなくスコアも停滞していた時にはじまったのが、

BEYOND THE STARLIGHT

というイベントでした。
2万点、もしくは12万位以内でパッションの城ヶ崎莉嘉ちゃんのSRが貰えるイベントでした。
これが初めて、必死に走ったイベントでした。下手ながらに毎日頑張ってギリギリ12万位以内に入れ、城ヶ崎莉嘉ちゃんのSRを手にした時は泣いてしまいました。めっちゃ嬉しい。デレステ、楽しい。
このイベントで12万位以内に入ってなかったらたぶん辞めていた気がします。

そこから、担当の森久保乃々ちゃんに出会い、私の事務所にもスカチケでお迎えした神谷奈緒ちゃん、たまたま引いたこ10連で2枚来てしまった堀裕子ちゃん、引いたことすら気付いておらず、RやSRとの演出違いに驚いた五十嵐響子ちゃん。この3人のSSRに支えられながらデレステを続けていました。(今ではSSRも増え、4月の新学期限定で城ヶ崎莉嘉ちゃんの限定SSRが来た時は本気で嬉しくてこれまた泣きました)

デレステだけでは飽き足らず次は、アニメも鑑賞しました。
見終わった後の感想は、『勘弁してくれ』だった気がします。こんなにもありありと生々しくアイドル事情をアニメにするなんて有り得るのだろうか。

1期でCDデビューが出来なくてモヤモヤする前川みくちゃん。
思ったようなデビューイベントではなくアイドルを辞めようとした本田未央ちゃん。
アイドルフェス前に倒れてしまった新田美波ちゃん。

大円満に終わったと見せかけて2期では美城常務の手が入り解体されそうになったシンデレラプロジェクトや、他のアイドルたちの葛藤や決意。そして、プロジェクトKRONEの立ち位置。

はー。ジャニーズ事務所でもよく見るヤツーーー
しんどーーーとなりながら全話駆け抜けました。

以前、掲示板で『卯月を無能みたいに書きやがって』と言ってる方を見かけましたが、私としては、あのアイドルとしての葛藤と迷いを表現できたのは島村卯月ちゃん以外いなかったと思います。
一緒にレッスンしてきた仲間が次第に夢を諦めていく中、卯月ちゃんだけはいつかアイドルになるを夢見ていました。ただ、漠然とアイドルになりたいと。アイドルになってアイドルとしてお仕事を始めてしまえば夢の殆どが叶ってしまいます。そうなると、他ユニットを組んだ渋谷凛ちゃんや、芝居という道を見つけた未央ちゃんを見ていれば自然と劣等感は生まれます。
きっと、卯月ちゃんがあのままだったらアイドルとしは魅力が減少していき、飽きられてしまったかもしれません。
でも、卯月ちゃんはどん底まで落ちて、迷いながらも笑顔の先にある夢を見るためにピースしてくれました。
アイドルオタクとして嬉しくてたまりません。
私が自担としてるジャニーズWEST神山智洋くんも、1度はデビューできない。と言われて辞めるか辞めないかの瀬戸際に立たされました。それでも諦めずに足を踏み出した結果、今ではジャニーズWESTとして活動しています。

森久保乃々ちゃんPになったのも、嫌々でやってたアイドルを楽しいと思うようになってきた森久保をこの先も見ていたいと思ったからです。次は何をしたい?次はどんなお仕事を楽しかった。て思ってくれる?と、森久保と叶えたい夢が手に掴みきれないくらいに生まれてしまったから。
たかが、アニメ、ゲームのキャラクターにそんなことを思わせてくれたデレマスて本当に凄いコンテンツなんだな。て実感しています。

そして、私の欲は止まることはなく、

『デレマスのLIVEに行きたい!』

そう、これが新しい楽しいのはじまりでした。


友人が先にLIVEの事をブログに書いてくださったので重複する所もあるかと思いますが、ぼちぼちと書いていきたいので、宜しければお付き合いください。

出会い編はこれにて。

ただひとつの栄光を選びに行った君の輝ける世界

『選ばれなかったなら選びにいけ

ただひとつの栄光』

 

BUMP OF CHICKENの『オンリーロンリーグローリー』という曲のワンフレーズを聞く度に末澤誠也を思い浮かべる。

今でこそ関西Jrの中でも知名度がありファンもいる末澤くんだが、1年半前はその存在すら危ぶまれてるようなJrのひとりであった。

末澤くんを初めて見たのはジャニーズWESTの1発めぇぇぇぇぇぇぇの時だった。その時はまだ関西Jrに疎く全員の名前すら把握していなかった。まして、Jr紹介もなかったから余計に分からず『普段見ない子がいるな、』くらいの感覚だった。この時の『普段見ない子』は末澤くんと吉岡廉くんである。名前も知らない末澤君を見て、『チャラッ、』という印象を受けた記憶はあるがそれ以外の印象は今考えても全く出てこない。めぇのときはWESTを見るのに精一杯で、Jrを見る余裕なんてなかったから当然といえば当然である。

 

そんな末澤くんの名前が広まったのは2015年4月のことだ。当時、金内柊真くんが退所してしまった関西Jrは長い氷河期に入るとオタが口を揃えていた。私もその1人だった。メインを張っていた金内くんの退所。関西を引っ張って来ていたWESTのデビュー。このまま鳴かず飛ばすで関西Jrは構築されてしまうのかと、Jrに興味を持ち始めていた私は何とも言えない気持ちのまま金内くんがいなくなった事実を少しずつ受け入れていっていた。そんな中、中山優馬くんのツアーがはじまった。オーディションで選ばれたのは関西Jrの当時のGangStarの面々。そして、末澤誠也。私のTwitterのTLに溢れた言葉は『末澤事務所辞めてなかった』である。よく良く考えればWESTに付いていたのだが、末澤くんだと認識してた人が少なかったのだろうか。

末澤くんの入所は2009年。同期はそれこそ朝田くん、今江くん、リチャード、大橋くんというfunky8メンバーたちだ。2009年の入所から所謂干されであった末澤くんの姿は舞台上にはなくよく『退所したのでは』と囁かれていたらしい。私はこの期間の関西Jrを知らない。人から聞いた話やネットから得た情報しか手元にはないが、確かにどこを見ても末澤くんが出演した作品というものは少ない。そんな彼が中山優馬くんのバックを勝ち取ったのだ。自らオーディションを受け、選びにいった栄光は彼の背中を押した。中山優馬くんのコンサートでは『舞い、恋』という曲でメインとして踊っていた。さすがにオーディションで勝ち取っただけはあり、踊りが引けを取らないくらい上手かった。何でこんなに踊れる子が干されてたの?なんで?と疑問を抱くくらいに完成されたものがあった。中山優馬くんのコンサートの後はジャニーズWESTの1stツアーパリピポへの参加。その年の松竹座で公演された少年たちでは看守側でセリフも多く与えられていた。その後、ドッグファイトへの出演、WESTのラッキィィィィィィィ7への参加。現場だけではなくまいどジャ~ニ~のスタジオ出演も多くこなしている。本当に何度も驚かされるが、演技もでき、テレビでの立ち回りも十分に出来ていた。末澤くんはいつか自分にチャンスか回ってくるその日に備えていたのだろうか。まさにオタが口を揃えた『進撃の末澤』そのものである。

何度も辞めるタイミングなんてあったはずだ。心折れそうな時もあったはず。それでも、末澤くんはアイドルであることを選び続けてくれていた。誰かの『辞めれば?』という言葉を待っていたかもしれない。けれど、アイドルでい続けてくれた。だから私は今末澤くんのパフォーマンスをこの目で見ることが出来る。

身長が小さい末澤くんは誰よりも自分を大きく魅せる方法を知っていた。だからこそ、どこにいても目を奪われる。踊り終わったあとに客席を煽るように上げる口角。なんという、自信の現れだろう。掴み取ったものに満足せず、その向上心で更に磨きをかけている。

この先、末澤くんを見るたびに幾度となく『アイドルを続けてくれてよかった』と思うのだろう。そのたび、幸せだと思う。彼に出会えたことを。

2015年の春。

確かに関西Jrは氷河期を迎えようとしていた。けれど、それを打ち砕いてくれたのは他の誰でもなく末澤誠也という存在だったと思う。いつか報われるを身をもって証明してくれたと同時に関西Jr全員の驚異でもあったはずだ。その夏に見た松竹座は不器用で不格好だけど、キラキラした関西Jrがいて、相乗効果を目のあたりにした。末澤くんがいなければ、funky8というグループも生まれなかった。大好きでたまらない8人を作り上げたきっかけは、末澤くんだと思う。この先、末澤くんがアイドルを続けてくる限り、私の『アイドルはいつだって、夢を見させてくれる』が証明されていく。それが嬉しくてたまらない。

 

末澤くん、

君が選びにいった栄光は正しかったですか?

その答えをいつか、聞かせてください。