ジャニオタがアイドルマスターシンデレラガールズのプロデューサーになり、5thライブに行くまで。 ~さあ!LIVEに行くぞ!~

 

こんにちは。和紀。です。

 

前回アイドルマスターシンデレラガールズとの出会いを書かせていただきました。

今回はLIVEに行くまでの事前準備と新人Pのワクワクについて記したいと思います。

 

『LIVEに行きたい!』

と思ったのはいいが、まず申込み方がよく分からない。

ジャニーズの現場の申込み方は大まかに2パターンに分かれるが、まずファンクラブに入っている事が必須条件となる。(一般で取れることもあるが本当に奇跡的なことである)

ファンクラブに入ったことを前提とし、

①先振込みをする。

・当たろうが外れようがまずはお金を振り込む。

事務所側が必要最低限を郵便振込の青色用紙に記入したものを会報などと一緒に送ってきてくれるので、そこに行きたい公演番号を記入し郵便局に振込に行く。この紙が同封されてない時は郵便局で青色の振込み用紙をもらい、サイトに書かれている項目を自分で書いていく。何公演も申し込む場合は何枚も書き続ける。当たればチケットに。外れれば手数料を引かれた金額が返金される。これまた返金のために郵便局へ。

 

②メール申し込み。

最近多いのがメールで事前に申込み、当たれば振込というパターン。これまた郵便局のみでの振込。社会人にはこの振込がかなりのネックだったりする。郵便局に行く時間が無いのだ。

 

ジャニーズの申し込みで困るのが、現金振込のみ。そして、公演の日時に問わず締切は一斉である。ツアーの1月の公演と5月の公演であったとしても、申込締切はおなじなのである。

そう、現金がなければ複数公演入れないのだ。(嵐などは名義ひとつにつき一公演しか申し込めないので複数公演どころの話ではない)

 

しかし、デレマスのLIVEはCDを購入し同封されてるシリアルコードで公演申し込みができ、なんなら公演日時によって申込期間がずれるし何より!クレジットカードが使える!

何これ!ありがたい!

そして同じようにグッズも事前販売で購入でき、クレカ支払いが可能となっている。

ジャニーズの現場はプレ販売というものはあるけど会場に行かないと買えないしやはり現金支払い。地方に住んでいると代行を頼むしかないという状況も多々。嵐オタをしていた時はグッズの為に夜行バスに乗って東京行ったり、始発で出向いて寒い中何時間もまったりしたもんです。最長、朝の7時から並んで買い終えたのが14時とかもあったな……しかも真夏に。需要と供給考えようや……


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これが全部送料無料なんですよ。なんなん。ありがてぇの言葉しか出ません。 

追加で美玲ちゃんとか追加して別発送されても無料でした。太っ腹すぎる。

話がそれましたが、チケット申し込みのために購入したCDはBEYOND THE STARLIGT。運命すぎるよなー。なんて思いながらとりあえず2枚購入。

そしてエントリー。

 

そして、当選

 

びっくりしてすぐさま友人に連絡。

(しかしこの後に関西ジャニーズJrの春コンサートは落選してしまいました。残念)

行けることが決まった時は嬉しさと同時に不安ばかり。ペンライトは公式のものでもいいけどそれとは別に購入したほうがいいとか、UOて何やねん!てなったりとか。

何よりも、曲も網羅してないしLIVEの映像は動画サイトで見る程度。コールとか全然分かんない。どうしよ。コールとかできなくて『できねぇなら来んなよ』て残念ながら言ってるジャニオタ見たことあるし、アニメ関係の現場でも言われた。みたいなツイート見たことある。(良くも悪くもこういう情報は現代社会の中ではたちまち噂になる。どのジャンルに置いても全員が不躾だとは思わないけど、ひとりがそんな態度を取ってしまえばジャンル全部がそのようなイメージになってしまうから、自分がこのジャンルの印象になるかもしれない。という気持ちだけはどんな時も忘れたくない)初心者だし文句言わるのは仕方ないにしても自分が無知すぎてLIVEの空気潰すのは嫌だな。でも当たったからには行きたい。出来ることをしよう。勉強しよう。

そんなことを考えながらも我が家にやって来たグッズを見ながらワクワクしたし調子のって名刺とかも作ってしまいました。
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配りきれるかは別として最初で最後の参加だと思い、記念にと作り余ったらジャニーズの現場で配り倒そ。と安易な気持ちでおりましたが、後々、作っててよかったー!と思うのはもう少し先。

チケット発券するとまさかのアリーナで友人に謝罪しまくり。初心者なのでスタンドくらいでいいと思っていたのだがアリーナ。ジャニーズWESTの現場でもアリーナを当てたのは1stコンサートの時のみだ。引きの強さがここで。……しかし列を見る限り埋もれだなーとか思っていた。これは勝手に脳内でステージ構成をイメージしたからだ。メンステ、センステ、バクステ、外周。埋もれだな。と。実際行ってみるとステージ構成も全く違ってて驚いた。

無事チケットも発券できたし、2週間後には友人を拾って当日。今回、私たちは自分の担当アイドルのいない大阪公演を選んだ。

私は森久保乃々ちゃん。友人は安部菜々ちゃん。森久保は石川でウサミンは宮城。悩んだが初めてのLIVEだし慣れた城ホがいいな。てことで大阪にしたが、大阪でよかった。本当に大阪でよかった。

 

そして友人を前日の6月9日に拾った私は6月10日。 

当日を迎えるのであった。

 (ちなみに6/9は有給を貰いグッズを買いに行くと見せかけて大阪松竹座で公演しておりました銀二貫を昼夜と観劇しました。)

 

 

 

ジャニオタである私がアイドルマスターシンデレラガールズのプロデューサーになり、5thライブに行くまで。~デレマスとの出会い~

こんにちは。和紀。です。

今回、縁があり

アイドルマスターシンデレラガールズ
5thLIVE TOUR ~Serendipitg Parade!!!~

に参加させていただくこととなりました。
学生の頃は声優さんやアニメ・漫画中心の所謂、2次元オタクだった私が成人することには何故か毛嫌いしていたジャニオタとなり、今日の日までを過ごしています。

LIVEに行くにあたり、何年も2次元を離れていた私がアイドルマスター シンデレラガールズ』(以下、デレマス)というコンテンツに出会いそして、LIVEに行くまでになったかを備忘録代わりに認めていこうと思います。

デレマスとのちゃんとした出会いは1年前。家にWi-Fiを引いたことからはじまります。自宅にWi-Fiがなくゲームアプリを使用にもデータ容量の都合でほとんどやっておらず、月5GBの容量の殆どはTwitterに取られておりました。唯一やっていたゲームアプリはツムツムのみ。
折角、自宅にWi-Fiを引いたのだし、何かゲームアプリをしよう。というのが最初でした。その時自分の中での候補は、

ラブライブ!スクールフェスティバル(以下スクフェス

アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ(以下デレステ

のふたつ。
当時、ラブライブ!はアニメも見てましたし、キャラソンも聞いてました。反対に、デレステはキャラを少し知っているだけで詳しいことは何も知らず。どちらもアプリリリース時に少しかじった程度。周囲も圧倒的にスクフェス勢が多い中、私が選んだのはデレステでした。
リリース時にかじった時に、デレステは3Dで踊るところを見ていてジャニオタとしてはその綺麗さに感動したことを思い出したからです。
この選択が、以後の私を大きく変えていきます。
アプリどころか昔からゲームもしない私はリセマラすることなく素直にゲームを始めてしまいました。音ゲーも初体験。飽き性で集中力のない私が続くとは思えなかったので最初のスカチケも見送ることとしました。今考えたらスカチケ使えよ。て感じでしたが、やはりあの日に戻ってもスカチケは購入しなかったと思います。
ゲームのシステムも分からずにただただeasyモードで日々譜面と向き合う私。報酬でドロップするNキャラを見て名前を覚えるのに必死でした。
デレマス、デレステ嫌煙する人の中に『キャラが多すぎる』とあります。確かに、デレマスのアイドルは200人ほどおり、顔と名前を一致させるのは難しいかもしれません。しかしジャニオタである私は、ジャニーズ事務所のデビュー組からジャニーズJrまで顔と名前を一致させているのでそこはネックに思うことなくさくさくと覚えていきました。
これが続いているひとつの要因なのかも知れません。

デレステを続けているうちに出くわすのがいくつかのイベント。曲をクリアすれば報酬としてSRやRがドロップしたり、ポイントと順位を争うものなど、面倒くさがり屋の私には不向きなものばかり。しかも下手くそだからRegularモードが精一杯。上位報酬なんて簡単には手に入りません。
だけど、SRドロップのイベントであればなんとか偶然で手に入り、各タイプ(デレマスにはキュート、クール、パッションというタイプがある)もそこそこに潤ってきたのですが、極端にパッションのSRがなくスコアも停滞していた時にはじまったのが、

BEYOND THE STARLIGHT

というイベントでした。
2万点、もしくは12万位以内でパッションの城ヶ崎莉嘉ちゃんのSRが貰えるイベントでした。
これが初めて、必死に走ったイベントでした。下手ながらに毎日頑張ってギリギリ12万位以内に入れ、城ヶ崎莉嘉ちゃんのSRを手にした時は泣いてしまいました。めっちゃ嬉しい。デレステ、楽しい。
このイベントで12万位以内に入ってなかったらたぶん辞めていた気がします。

そこから、担当の森久保乃々ちゃんに出会い、私の事務所にもスカチケでお迎えした神谷奈緒ちゃん、たまたま引いたこ10連で2枚来てしまった堀裕子ちゃん、引いたことすら気付いておらず、RやSRとの演出違いに驚いた五十嵐響子ちゃん。この3人のSSRに支えられながらデレステを続けていました。(今ではSSRも増え、4月の新学期限定で城ヶ崎莉嘉ちゃんの限定SSRが来た時は本気で嬉しくてこれまた泣きました)

デレステだけでは飽き足らず次は、アニメも鑑賞しました。
見終わった後の感想は、『勘弁してくれ』だった気がします。こんなにもありありと生々しくアイドル事情をアニメにするなんて有り得るのだろうか。

1期でCDデビューが出来なくてモヤモヤする前川みくちゃん。
思ったようなデビューイベントではなくアイドルを辞めようとした本田未央ちゃん。
アイドルフェス前に倒れてしまった新田美波ちゃん。

大円満に終わったと見せかけて2期では美城常務の手が入り解体されそうになったシンデレラプロジェクトや、他のアイドルたちの葛藤や決意。そして、プロジェクトKRONEの立ち位置。

はー。ジャニーズ事務所でもよく見るヤツーーー
しんどーーーとなりながら全話駆け抜けました。

以前、掲示板で『卯月を無能みたいに書きやがって』と言ってる方を見かけましたが、私としては、あのアイドルとしての葛藤と迷いを表現できたのは島村卯月ちゃん以外いなかったと思います。
一緒にレッスンしてきた仲間が次第に夢を諦めていく中、卯月ちゃんだけはいつかアイドルになるを夢見ていました。ただ、漠然とアイドルになりたいと。アイドルになってアイドルとしてお仕事を始めてしまえば夢の殆どが叶ってしまいます。そうなると、他ユニットを組んだ渋谷凛ちゃんや、芝居という道を見つけた未央ちゃんを見ていれば自然と劣等感は生まれます。
きっと、卯月ちゃんがあのままだったらアイドルとしは魅力が減少していき、飽きられてしまったかもしれません。
でも、卯月ちゃんはどん底まで落ちて、迷いながらも笑顔の先にある夢を見るためにピースしてくれました。
アイドルオタクとして嬉しくてたまりません。
私が自担としてるジャニーズWEST神山智洋くんも、1度はデビューできない。と言われて辞めるか辞めないかの瀬戸際に立たされました。それでも諦めずに足を踏み出した結果、今ではジャニーズWESTとして活動しています。

森久保乃々ちゃんPになったのも、嫌々でやってたアイドルを楽しいと思うようになってきた森久保をこの先も見ていたいと思ったからです。次は何をしたい?次はどんなお仕事を楽しかった。て思ってくれる?と、森久保と叶えたい夢が手に掴みきれないくらいに生まれてしまったから。
たかが、アニメ、ゲームのキャラクターにそんなことを思わせてくれたデレマスて本当に凄いコンテンツなんだな。て実感しています。

そして、私の欲は止まることはなく、

『デレマスのLIVEに行きたい!』

そう、これが新しい楽しいのはじまりでした。


友人が先にLIVEの事をブログに書いてくださったので重複する所もあるかと思いますが、ぼちぼちと書いていきたいので、宜しければお付き合いください。

出会い編はこれにて。

ただひとつの栄光を選びに行った君の輝ける世界

『選ばれなかったなら選びにいけ

ただひとつの栄光』

 

BUMP OF CHICKENの『オンリーロンリーグローリー』という曲のワンフレーズを聞く度に末澤誠也を思い浮かべる。

今でこそ関西Jrの中でも知名度がありファンもいる末澤くんだが、1年半前はその存在すら危ぶまれてるようなJrのひとりであった。

末澤くんを初めて見たのはジャニーズWESTの1発めぇぇぇぇぇぇぇの時だった。その時はまだ関西Jrに疎く全員の名前すら把握していなかった。まして、Jr紹介もなかったから余計に分からず『普段見ない子がいるな、』くらいの感覚だった。この時の『普段見ない子』は末澤くんと吉岡廉くんである。名前も知らない末澤君を見て、『チャラッ、』という印象を受けた記憶はあるがそれ以外の印象は今考えても全く出てこない。めぇのときはWESTを見るのに精一杯で、Jrを見る余裕なんてなかったから当然といえば当然である。

 

そんな末澤くんの名前が広まったのは2015年4月のことだ。当時、金内柊真くんが退所してしまった関西Jrは長い氷河期に入るとオタが口を揃えていた。私もその1人だった。メインを張っていた金内くんの退所。関西を引っ張って来ていたWESTのデビュー。このまま鳴かず飛ばすで関西Jrは構築されてしまうのかと、Jrに興味を持ち始めていた私は何とも言えない気持ちのまま金内くんがいなくなった事実を少しずつ受け入れていっていた。そんな中、中山優馬くんのツアーがはじまった。オーディションで選ばれたのは関西Jrの当時のGangStarの面々。そして、末澤誠也。私のTwitterのTLに溢れた言葉は『末澤事務所辞めてなかった』である。よく良く考えればWESTに付いていたのだが、末澤くんだと認識してた人が少なかったのだろうか。

末澤くんの入所は2009年。同期はそれこそ朝田くん、今江くん、リチャード、大橋くんというfunky8メンバーたちだ。2009年の入所から所謂干されであった末澤くんの姿は舞台上にはなくよく『退所したのでは』と囁かれていたらしい。私はこの期間の関西Jrを知らない。人から聞いた話やネットから得た情報しか手元にはないが、確かにどこを見ても末澤くんが出演した作品というものは少ない。そんな彼が中山優馬くんのバックを勝ち取ったのだ。自らオーディションを受け、選びにいった栄光は彼の背中を押した。中山優馬くんのコンサートでは『舞い、恋』という曲でメインとして踊っていた。さすがにオーディションで勝ち取っただけはあり、踊りが引けを取らないくらい上手かった。何でこんなに踊れる子が干されてたの?なんで?と疑問を抱くくらいに完成されたものがあった。中山優馬くんのコンサートの後はジャニーズWESTの1stツアーパリピポへの参加。その年の松竹座で公演された少年たちでは看守側でセリフも多く与えられていた。その後、ドッグファイトへの出演、WESTのラッキィィィィィィィ7への参加。現場だけではなくまいどジャ~ニ~のスタジオ出演も多くこなしている。本当に何度も驚かされるが、演技もでき、テレビでの立ち回りも十分に出来ていた。末澤くんはいつか自分にチャンスか回ってくるその日に備えていたのだろうか。まさにオタが口を揃えた『進撃の末澤』そのものである。

何度も辞めるタイミングなんてあったはずだ。心折れそうな時もあったはず。それでも、末澤くんはアイドルであることを選び続けてくれていた。誰かの『辞めれば?』という言葉を待っていたかもしれない。けれど、アイドルでい続けてくれた。だから私は今末澤くんのパフォーマンスをこの目で見ることが出来る。

身長が小さい末澤くんは誰よりも自分を大きく魅せる方法を知っていた。だからこそ、どこにいても目を奪われる。踊り終わったあとに客席を煽るように上げる口角。なんという、自信の現れだろう。掴み取ったものに満足せず、その向上心で更に磨きをかけている。

この先、末澤くんを見るたびに幾度となく『アイドルを続けてくれてよかった』と思うのだろう。そのたび、幸せだと思う。彼に出会えたことを。

2015年の春。

確かに関西Jrは氷河期を迎えようとしていた。けれど、それを打ち砕いてくれたのは他の誰でもなく末澤誠也という存在だったと思う。いつか報われるを身をもって証明してくれたと同時に関西Jr全員の驚異でもあったはずだ。その夏に見た松竹座は不器用で不格好だけど、キラキラした関西Jrがいて、相乗効果を目のあたりにした。末澤くんがいなければ、funky8というグループも生まれなかった。大好きでたまらない8人を作り上げたきっかけは、末澤くんだと思う。この先、末澤くんがアイドルを続けてくる限り、私の『アイドルはいつだって、夢を見させてくれる』が証明されていく。それが嬉しくてたまらない。

 

末澤くん、

君が選びにいった栄光は正しかったですか?

その答えをいつか、聞かせてください。