臆病で保守的な私が朝田淳弥くんを担当に選んだお話。

 

こんにちは。和紀。です。

今回は私のたぶん最初で最後のJr担であろう、朝田淳弥くんのお話をしたいと思います。

 

私は保守的でとてもじゃないけど不安定なものに熱をかけられる余裕のある人間ではありません。ジャニオタになった当初はV6の長野くん。その2年後くらいに嵐の相葉くんを担当としていました。相葉くんに至っては10年以上脇目も振らずに応援し続けていました。そんなある日、興味のあるひとりの子に出会います。

 

ジャニーズWEST神山智洋くんです。

 

丁度、デビューした2014年の5月も終わる頃、友人のひとりからステマを受けます。しかし私は今まで色んなステマを受けましたが結局相葉くんに落ち着くことが多く他に流れることはありませんでした。しかし、WESTのことを知れば知るほど。神山くんを知れば知るほどのめり込み、ついに相葉くんと同じくらいに好きな人になっていて掛け持ちを始めました。(そして2015年の5月2日に担降りを決めます)

その時、ふと友人に「関ジュも一緒に覚えるとなお楽しいよ」と言われましまが、流石に「いやー、Jrはないなぁ」と笑っていました。

 

そんな私の「ジャニーズJr」への概念を覆したのが奇しくもWESTの1stコンサートである『1発めぇぇぇぇぇぇぇ』。横アリ城ホと入り、横アリの時はあまり思わなかったのですが、城ホでまさかのセンステ最前列を引き当ててしまいます。10年以上ジャニオタしててこんな意味のわからん席は初めてでした。席が近すぎてWESTはもちろん、Jrもすげぇ良く見える。名前も顔もほとんど一致しない子達なのにキラキラして見えて、恥ずかしながらJrのパフォーマンスというのもこの時初めて目の当たりにしました。嵐は丁度私がコンサートに行くようになった当たりからJrのコーナーみたいなものがなくなり、完全にバック扱いになってたから余計に驚きました。

 

「関西Jrやべぇ」

 

そこから少しずつ関西Jrや少クラに出ている関東のJrにも目を向けるようになりました。

そんな時に誘われ2015年の春松竹に行くことに。名前や顔もメインどころしか相変わらず分からないのに何故かこれまた前から4列花道横という席で見ることとなります。

この時に私の心を奪ったのが福本大晴くんでした。まだ中学生の彼がじゅんいちダビットソンの物真似をしているのがめちゃくちゃツボでその後友人に名前を教えてもらい、大晴くんの存在を知ることとなります。

2015年の春松竹はご存知の通り関西Jrの中でのひとつの分かれ目のコンサート。

そう、メインメンバーであった金内柊真くんの退所がこのコンサートでした。

金内くんが退所をした時、私は彼を「番組回しの上手い子」くらいの感覚で思っていましたが、周囲の評価は凄まじく、誰しもが口を揃えて『関西に氷河期が来る』と日々、ネガティブなツイートを目にしていました。この時、私は、絶対にJrに担当は持たない。そう、決心したのです。いつか、居なくなってしまう存在に心を割くことができない。これが私の考えでした。そりゃ、デビューしても辞めてしまう子はいます。それでもJrは辞めることを知らされず悟っていくしかないんですよね。

そんな中で2015年、WESTの初のツアーとなるパリピポがはじまります。

このツアーでは関西Jrの藤原丈一郎くんと今江大地くんは参加しておらず今江くん好きの友人は幕が開いた時必死で今江くんを探しましたがどこにもおらず大号泣していたことを今でも鮮明に覚えています。金内くんの退所後、今江くんは中山優馬くんのツアーに付いていたので、WESTにもいるだろうと安直に考えていました。結果、いなかったのです。

背筋が、ゾワッ、としました。

やはり自分にJrを応援するて無理だな。と彼女を見て改めて思います。だって、こんなに泣いてしまうくらい好きなのに相手に確証が持てない存在がジャニーズJrだからです。番組見てこうやってコンサートとかで見て満足するくらいでいいやー。そのくらいが丁度いい。そうしよう。

 

そんな私を大きく変えたのが2015年、松竹座夏公演『少年たち』です。

ありがたい事に8月9日友人と合わせて取ったチケットで昼夜と観劇することとなりました。(ちなみにこの日が大橋くんの誕生日だなんて微塵も知らずたまたま取ったので強運すぎるぞ2015年の私)

自チケは昼公演で、まさかの5列目。私の強運なんなんだろ。そろそろ交通事故にでも合うのかなぁ。なんて思いながら席へ。(実際8月の末に交通事故には合いませんでしたが、リストラには合いました。てへぺろ

少年たちは廃盤になった松竹座のものと、A.B.C-Zと関西Jrが出ていたものを鑑賞していました。だからある程度の予備知識を持って見ることができました。が、実際見るとなんだか、全く別物に見えてしまい終始、アホみたいに口を開けていたような気がします。

西畑大吾くんと向井康二くんのセリフからはじまったこの公演は、今の関西Jrが初めて自分たちで作り上げた舞台なんです。(2014年はWESTが台風n Dreamerを公演していたので実質その時点での関西Jrの夏公演となる)今までセリフのなかった子達にセリフが与えられ、殆どの顔が入れ替わった新しい少年たちは某雑誌にも書かれていた『最高の未完成』でした。

関西のお家芸であるBIG GAMEはそれこそ未完成で、何度も友人に見せられ動画サイトで見ていた、かつてのB.B.Vとは比べ物にならないくらい雑で荒いBIG GAME。でもそれが最高にカッコよくてワクワクして、ノドがカラカラになるくらいに震えて、気付けば関西Jrにのめり込んでいました。

それでも終わった直後はやっぱり大晴くんをはじめ、関西Jrをまるっと応援するクソDDでいいやー。と思っていました。が、終わって1週間ちょっとした8月18日にその感情がふと、確信へと変わります。

 

「あ、私、朝田くん好きなんだ」

 

正直に言うと観劇中も朝田くんのことは全然見ていませんでした。私が意識してみていたのが、藤原丈一郎くん、古謝那伊留くん、福本大晴くんだったからです。見る前も、万が一今回の舞台見て担当決めるとしてもこの3人だなぁ~と思っていたくらい、朝田くんはノーマークでした。観劇した翌日くらいから、ふと朝田くんの事を思うことが増えました。

彼は、踊りはそこそこ上手いけど芝居下手だなぁ。女装してんなー。くらいの評価だったのに、突然その波は来てしまったのです。

先にも書いたように藤原丈一郎くんを見ていました。立ち位置も丈くんの位置だったらしく彼がやたらと目に入ります。そんな中で、丈くんの背後でドラムを叩く朝田くんを思い出すのです。そこからはじまり、劇中やショータイムの朝田くんをありありと思い出します。

その好きに追い打ちをかけたのはその年の9月に放送された少年倶楽部in大阪でした。

この時のBIG GAMEを見て「あぁ、関西と朝田くん応援しよう」と心に決めます。

しかし、この時点ではまだ担当にするとは思いませんでした。

 

9月に長年働いていた職場を退職します。人員削減の為に派遣であった私はリストラにあってしまいました。しかし、WESTのツアーもありゆっくりしてる暇なく就職活動。再就職先を見つけます。冬の松竹座も決まりチケットも確補できたので朝田くんを好きだと認識して初めて彼に会うんだなぁ~とワクワクしていた時に来たお知らせ。

朝田くん平日公演にしか参加せず

私のチケは土曜日公演のもので、しかも再就職した為、有休というものもありません。そう、どう足掻いても見に行けないのです。絶望しかない。この時の私、ソウルジェム濁りまくって安易に魔女になれるくらいに死にかけていました。日々のレポを見ながら「何で行けないんだろう、」を繰り返して泣き続ける日々。

そう、私の中で朝田くんがとても大きな存在になっていたんです。

WESTのツアーも自分の名義は全滅。なんとか友人に助けてもらい行けることになった私は生まれて初めて団扇を作りました。

顔入りの公式団扇はデビュー組の特権でファンサも求めていなかったので団扇を作るということを1度もしたことがありませんでした。相葉くんにすら、作ったことはなかったのです。

不器用な私は試行錯誤しながら団扇を作ります。掛け持ちの私は神山くんと朝田くんの団扇を持ちました。そう、この行為が嫌いな人もいるということは百も承知で持ったんです。

この時の私はもうすでにどちらがどうとか選べなかったんです。ただ、このステージに立場は違えど好きな人が2人いる。それだけが私にとったら最高に幸せなことだったから。

この時のツアー、ラッキィィィィィィィ7は大阪、福岡、新潟と参加していましたが、どの場所でも朝田くんは私の下手くそな団扇を見つけてくれました。どんなに埋もれていても、見つけると、「パァアア!」と顔を明るくして手を振ってくれました。ファンサが嬉しかったのか、見つけてもらえたことが嬉しかったのかよく分かりませんが、ただ、「君のファンはいるんだよ」ということを伝えられたのがめちゃくちゃ嬉しかったことだけは覚えています。

ダンスがどんどん上手くなって表現力の付いてきた朝田くん。相変わらず演技はまだまだだけど少しずつ自分の立ち位置や役割を把握してきた朝田くん。

2016年も沢山彼を見て、秋に行われたJOHNN'S Future WORLDでは、決して手元を見ずに真っ直ぐ前を見て三味線を引く姿にずっと目を奪われていました。

もうだめだ。この人が好きだ。この人がもし、居なくなるとしたら、私は絶対に後悔する。必死に精一杯この人と向き合いたい。この人を好きでいたい。Jrなんて好きにならないと思ってた。そんな臆病な私を、朝田くんは変えたんだ。梅田芸術劇場のふかふかの椅子に座りボロボロと泣きながら「私の担当の朝田淳弥くん、」と呟いたのは2016年、10月10日のことでした。

それから、朝田くんは順風満帆に露出が増えていきました。全国放送の番組に呼ばれたりその年の冬の松竹ではソロパートを貰ったりドームのバックもかっこよかったし、何より外部の舞台にも呼ばれました。

年が明けて、なうぇすとのツアーでも団扇を見つけてくれて、春には念願の今江くんとの1曲を貰うことができて私も大層喜んでおりました。

 

そんな折の、この夏です。

前回のブログにも書きましたが順風満帆の中に燻っていた不信感が形になり「該当担はしんどいね」と、何度も言われました。

前の私なら「あぁ、やっぱりJrなんて応援するんじゃなかった」て思うかもしれません。

けれど、朝田くんを好きになった私は、「君がアイドルを続けてくれる限り、私は、君をちゃんと見てるよ、」とそう考えられるようになりました。

明日の彼は、もうアイドルじゃないかもしれない。いつか私の知らない彼になってしまうかもしれない。ジャニーズJrて、そんな曖昧な存在なんです。それでも、いいと、それでも君が好きだよ。と思わせてくれた朝田くん。

私は、彼に出会えて最高に幸せです。

 

私の、最初で最後のジャニーズJrの担当。

朝田淳弥くんが、笑っていてくれたらやっぱり最高にハッピーです。

だから。絶対に後悔はしない。

 

 


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